Story.02

いい子のふりする、
ワケありっ子。

幼稚園の頃、少し危険な場所で遊んでいたら、先生に猛烈に怒られた。いつも笑っていて優しくて大好きだった先生が、はじめて僕に恐い顔を向けた。その豹変ぶりに、僕はとんでもなくショックを受けた。自分が悪気なくしていることの中には、誰かを豹変させるぐらい気に障ることがある。そんなことを、幼いながらに知ってしまったからだ。

それから小学生になり、僕はすっかり「いい子」になった。家庭訪問のときに、先生が母に「山本くんは本当にいい子ですねぇ」とべた褒めしてくれるぐらいのお利口さんだ。でも、正確には、人の顔色をうかがうのがうまいだけ。誰かと接するときは常に気を使っていた。「いい子」でいることで、もう誰の気にも障ることがないように、自分が傷つくことのないようにしていた。

演じ続けた、いいやつ。

小学校も、中学校も、高校も、大学も。それぞれの時代で友達は人並みにできたし、それなりに楽しく過ごした。大学時代の軽音楽部では、キーボードができる人がいなかったからという理由で、ギター担当だった自分がキーボード担当に転向した。お人よし全開。通常運転である。そんな僕のことを友達は「いいやつ」だと思っていたし、僕も「いいやつ」でい続けようと思った。友達と一緒にいるときは楽しかったけれど、もやもやした感情ともずっと一緒だった。

そんな僕が、人生のターニングポイントを迎えることになったのは、大学院時代だ。友達から誘われたNPOになんとなく興味を持ち、子どもの学習支援ボランティアを始めることにしたときのこと。そこで僕が担当したのは、勉強が大嫌いでゲームが大好きな男の子だった。すぐに仲良くなることができ、僕と一緒にいるときは勉強もしてくれるようになった。けれど、唯一、宿題だけは取り組んでくれなかった。何度宿題を出しても、宿題をやってこない。その子に対して、僕は僕で「宿題に取り組んでほしい」とは言えないまま月日は流れていった。

ずっと放っておいた、
自分の宿題。

「本当に彼のことを考えているの?」。ある日、NPOの先輩からそんなことを言われて、僕はぶん殴られたような気持ちになった。ずっと気にしてきた、相手と本音でぶつかれない自分。いつも傷つかないように守ってきた自分。このままじゃダメなのは、宿題をやってこない彼ではなく、僕のほうだった。

そこから僕は変わった。そもそも何のために宿題を出していたか。今の彼には宿題というかたちで学習を促さなくてもいいのではないか。彼にとっていいと思える学習支援とはどうあるべきかを本気で考えた。彼以上に彼の人生を考えて、伝えたいと思うことは包み隠さず正直に伝えた。

相手のためのお人よし。

次第に、彼は自分の人生を本気で考え、進んで勉強するようになっていった。大学院修了の時期。僕がNPOの活動を辞めるときには、もう学習支援ボランティアを必要としないぐらい成長した彼がいた。

そして。そこには、「自分のためのお人よし」から「相手のためのお人よし」に変わることができた僕もいた。

スタンバイ事業部

Message
いまの自分から、あのときの自分へ。

いまの僕は、僕らしく頑張れているよ。

山本 凌平ビズリーチ事業部 プロダクト開発部

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